今森光彦さんに聞く
「写真家が自然環境のためにできること」

今森光彦さんに聞く 「写真家が自然環境のためにできること」
Interview & Photographs by Kenji Yamamura(PASHADELIC代表)
Text & Edit by Sachiko Takahashi(PASHADELIC press編集長)
Photograph by Chisato Hikita [TOP]

自然写真家として長年にわたり活動し、環境省、地方自治体、メーカーなどに環境再生のための助言を行うなど、自然環境の大切さを社会に働きかけてきた今森光彦さん。一方、美しい自然の姿を緻密に表現する「切り絵作家」や、かつてあった里山の営みを取り戻そうとする「環境農家」としても活動し、一般の人や子どもたちにもわかりやすい発信も続けている。

今、だれでもなにげなく使っている「里山」という言葉。それは実は、今森さんが写真を発表していく中で一般の人に広まった言葉だ。生きもののいない「原生林」と人間が暮らす「町」の中間にある、人と野生の生きものが共生する空間が「里山」。そこにこそ大切な多様性が存在しているのだ、と今森さんは説き続けている。

里山を知ってもらうための手法は、作品の発表にとどまらない。子どもたちのために里山環境を体験する昆虫教室を開いたり、大人には女性誌で農家の暮らしの美しさを伝えたり、切り絵の個展で自然の造形の美しさを表したり。そしてもちろん、自然をフィールドにしている写真家だからこそ、自身の活動を説得力を持ったビジュアルでも訴える。

これまで今森さんが歩んできた道のり、写真家としての自然との関わり方には、私たちが自然を理解するためのヒントが詰まっている。プロ、アマチュアを問わず、写真を撮る者として環境のためにできることは何か。お話を伺った。


今森光彦さんのアトリエで。庭で採れた花、暖炉、大きな無垢の木のテーブルなど、調度品も自然に寄り添うくつろいだ雰囲気をもっていた
今森光彦さんのアトリエで。庭で採れた花、暖炉、大きな無垢の木のテーブルなど、調度品も自然に寄り添うくつろいだ雰囲気をもっていた

「里山」は、人と生きものの共有地

ーー今森さんが1980年にフリーランスの写真家となって40年。初期の頃は世界各地でさまざまな昆虫を追いかけ、『世界昆虫記』という名著が出版されたのは1994年です。その翌年には写真集『里山物語』が木村伊兵衛賞(*「写真界の芥川賞」ともいわれる写真賞)を受賞されました。今、「里山」という言葉は普通に使われる言葉ですが、そもそもは専門用語で、当時はだれも知らなかったそうですね。

今森光彦(写真家/以下、今森):そうです。写真集『里山物語』のもとになる雑誌『Mother Natures』(新潮社)の連載は1992年に始まりました。当時は、「自然」と言えば原生林を指した時代です。手つかずの自然こそが「自然」である、と。しかしそれまで昆虫を追いかけてきた私の認識は違いました。人が住んでいる場所で、かつ多種多様な生きものが共存している場所がある。そういう言わば「もう一つの自然」とでも言うべき場所のことを伝えたい。それが雑誌の編集長に話したことです。そして今でも私は、ずっと同じことだけを言い続けています。

当時、『アニマ』(平凡社)というネイチャー雑誌があったのですが、その頃は動物行動学が全盛の時代で、生物と環境との関わりについては、まだ真剣な議論がなされていたなかったように思います。

編集担当者に、私の撮影フィールドまで来てもらって説明しました。「昔ながらの農業環境のなんでもないところに、私たちの親しみのある生きものが棲んでいる。山奥に行かなくてもたくさんの生きものに出会える」という話をすると、「へえ、そうなんですか。それは面白いですね」と興味を持ってもらえた。文章と写真で発表したい。写真には必ずしも生きものは写っていない。風景や、それを守る人の姿も出てくる。あえてそういう写真を発表したい、と話して。それで連載が始まりました。

ーーどうやって、生物と農業環境の関係性に気づいたのですか?

今森:20代の頃、『昆虫記』のための取材をしていました。学生時代からプロになって30歳までのほぼ10年間、この辺り(滋賀県大津市郊外)の観察記録です。その時にたぶん頭がまとまっていったんです。撮っている生きものが、全部農地と関係していたから。それが次第に確固たる思いになりました。

僕は小さい頃、大津の町屋に住んでいました。ど田舎に生まれて裸で飛び歩いていたと思われがちなのですが、全然そんなことはなく、町家生まれの町家育ち。結構繁華街で。でも山も近いし琵琶湖も近かった。よく遊んだ場所は神社です。水辺にトンボを取りに行くと必ず木船が浮いていました。つまり人の気配の中で生きものと接していたんです。 僕の記憶の中では、必ず生きものの背景に人の気配があるんです。小さい頃、カブトムシやクワガタを追いかけた雑木林では、シイタケが栽培されていた。森というよりは、すごく明るい林です。

1995年刊『里山物語』(新潮社)。琵琶湖のほとりの農家の営みと昆虫の関係性に着目した表現で今までにない新しい概念を提示し、木村伊兵衛賞を受賞した。
1995年刊『里山物語』(新潮社)。琵琶湖のほとりの農家の営みと昆虫の関係性に着目した表現で今までにない新しい概念を提示し、木村伊兵衛賞を受賞した。

昆虫とアートが好きだった

ーー虫そのものに夢中になりつつも、意外と周囲の環境まで観察していたということですね。他の子たちとは何が違ったんでしょうか。

今森:ある時期には昆虫に傾倒していましたが、一方で文化とか芸術、アートも大好きだったんです。自分が生態など科学の分野に行かなかった理由は、そこにあるかもしれません。学者になるのはつまらなそうだな、と思っていました。

僕はよく、「感性の栄養」という言葉を使うのですが、学校に行く途中に土手を歩いたり農家の草刈りで燃えている匂いを嗅いだり、その中で生きものや農家の人に出会ったり、身近な環境に自分が出ていかなければ育たない感性があるんです。それは教えてもらうものじゃない、自分で感じ取るものなんです。

これは後でまた説明しますが、そうした体験を子供たちに与えたいと今は思っていて、そのために「環境農家」になることを試みているところなんです。

「人間の存在を含めた自然」について考える

ーーお話を少し戻すと、そうした人と生きものが共生する土地のことを、先の連載で「里山」と呼び、その言葉の定着を試みた、と。

今森:そもそも「里山」という言葉は動物行動学者の河合雅雄さんの本で知ったんです。河合さんは当時『アニマ』が主催するアニマ賞の審査員をやっておられ、編集部でも何度もお会いしました。その人の本に「里山」という言葉が出てきたのですが、使い方は今と全然違っていて、雑木林、つまり煮炊きや風呂を沸かすのに使う木を調達する「薪炭林」を指す言葉として使われていました。最初にこの言葉を使ったのは森林学者の四手井綱英さんだそうです。広辞苑に載るようになったのはたった二十数年前、1998年のことで、「里山」は造語なんです。

ともかく河合さんが使っていたその「里山」という言葉の柔らかい感じが、僕がやろうとしていた、一言で言い表せなかった環境にうってつけの言葉だと、インスピレーションが湧いたんです。それで「里山物語」という連載タイトルを編集部の担当者に提案しました。

出版社の人と調べた結果、「里山」はまだほとんど誰も使っていない言葉だと確認できた。しかし使われていないということは、誰も知らないということです。そこで、「里山とは人と自然が共存する日本古来の農業環境のことを言う」という二行のリードを作ったんです。それが連載タイトル「里山物語」の後に毎回出てくるようにしました。それがすべての始まりです。

ーー今ではだれもが疑いもなく「里山」という言葉を使います。

今森:ついに、そういう時代が来たんですねぇ。学者の人も、生物そのものを研究するだけではなく、関係性に着目するようになりました。関係性なんですよね、里山というのは。隣り合う生命、今の生物多様性の、そういう意味では考え方の元祖かも知れないですね、ひょっとすると。そしてその関係性の中で何が一番大事かというと、人が含まれているということです。生物だけではなく、生態系の中には必ず人も入っている。それは昔から日本人が持っていた、西洋にはなかった考えです。日本回帰ですよね。里山という概念が生まれたことで、そういう考え方が広まったのかもしれません。

木々の緑に包まれた中に自然と調和するように建てられた今森さんのアトリエ。野ぶどうのツルが窓辺を飾る
木々の緑に包まれた中に自然と調和するように建てられた今森さんのアトリエ。野ぶどうのツルが窓辺を飾る(写真提供:疋田千里)

アトリエは、里山環境再生の実験場

ーーここはとても素敵な場所ですが、今森さんは田舎暮らしがしたいとか、単純にこの土地に魅了されてアトリエを建てたということではないんですよね。

今森:まったく違います。僕がアトリエを手に入れた時にやりたかったことは、里山環境の再現です。当時のことはさまざまなメディアに取材してもらったので詳しくは省略しますが、裏山の杉林を仲間達に手伝ってもらって在来の落葉広葉樹に植え替え、雑木林を育てました。建物までのアプローチとして続いている土手と中庭には、350年前は田んぼがありました。今は米こそ作りませんが、昔ながらの農家のサイクルで土手の草刈りなどを行い、在来の植物を繁殖させています。農業ため池もそのまま残しています。そうすることで絶滅危惧種の昆虫たちが植物を求めてこの中庭に集まってくるようになり、生きものたちの種類も豊かになりました。ここはいわば実験場で、今も実験は続いています。

アトリエの内側から眺める中庭。植木職人により計画的に手入れされる庭とは異なり、野鳥が運んだ木々や、昆虫の食草があるがままに育つワイルドな眺めだ
アトリエの内側から眺める中庭。植木職人により計画的に手入れされる庭とは異なり、野鳥が運んだ木々や、昆虫の食草があるがままに育つワイルドな眺めだ

ーー作物を作らないまでも、昔からの農家の暮らしと風景を再現すれば、生きものたちも戻ってくるはずだ、と。

今森:アトリエを建てるまでは、僕は外来者として風景を撮りに「来て」いました。それが、物理的な立ち位置を変えて内側から環境を眺められるようになったのは、僕にとって大きな進展でしたね。

このアトリエが、今までやってきたことの礎になっています。この場所を、環境、風景として見るのではなく、いまでは「土地」という感覚で眺めています。土地として見るということは、生命を含んだ大地としてそこを見るということです。よそから来て風景写真を撮っている人と一番違うところは、そこです。もちろん風景として美しい場所であるというのは、喜ばしいことではありますが、僕の中での優先事項はそこではありません。環境としての価値、生命を育む土地としての価値を優先して考えています。


今森光彦、昆虫牧場を経営する!?

ーー「立ち位置を変えた」というお話で言えば、最近さらに踏み込んで「環境農家」になろうとされているそうですが。

今森:僕は5年前に農家申請をして、本当の「農家」になっちゃったんですよ。例えるなら、今までは、好きな建物があったとしたらその周りをウロウロしていたようなものです。こっちから撮ろうかな、あっちから撮ろうかな、と。そんな風に自然を撮っていた。ところが、ついに扉を開けて建物の中に入っちゃった。そして今度は窓から見える風景を見てるわけ。それが僕には農家申請だった。

本当は、写真家としてはそれはやってはいけないことです。被写体の中に入ってはいけないと僕は思っているので。このアトリエでも、農業をしているわけではなかったので、これまでは農家とはほどよい距離を保っていました。ただ、これもある出会いによって、ついに本当の農地を手に入れ、「農家」という建物の内部に入ってしまった。けれども、幸せなことに、この出入りできる建物なんです。だから視覚が広がっています。

ーーついに、農地と、農家の肩書きまで手に入れてしまった。でもそれは、里山や昔の暮らしをただ単に取り戻そうとされているわけではないですよね。

今森:端的に言えば、僕がやろうとしていることは昆虫牧場。みんなはそう思っているようです(笑)。

ーーなんですって!?

今森:要するに、昆虫を増やすことは農地的環境を守ることにつながるんです。なんでかというと、昔の農業環境の中には生物多様性があって、そこに昆虫がたくさんいたからです。原っぱだけではダメなんですよ、昆虫も。

どうしたら昆虫が増えるかというと、一番良いのは、ほどよく人が作物を収穫してあぜを草刈機で刈ったり、雑木林をきちんと枝打ちして管理すること。その行為が、農地を生きものの楽園にする。そういうことなんですよ。

「昔のように米を育てよう」とは言っていないんです、僕は。昔のように農業で経済を回そうとする必要はない。それでも里山環境は維持できる、と言いたいんです。

そうすることで、風景の見た目も昔の農村のようにのどかな風景になります。

ーーそうでしたか……。それがただの「農家」ではなく、「環境農家」と名乗られている理由なんですね。それにしても手に入れた農地は荒れ果てていて、開墾するのに大変なご苦労があったとお聞きしました。

今森:その農地は、40年間放置され、まったく人の手が入らないままの竹やぶでした。「イノシシやシカですら遠回りする」と、地元の人の間ではちょっと有名な場所だったんです。普通はイノシシもシカも竹やぶは逃げ込む場所ですよ。そいつらが避けるって、どんななんだ? と。

来る日も来る日も、僕が教えている大学の学生にも手伝ってもらって、一人一万本くらいの竹を伐採しました。あまり言いたくはないですけれど、一回挫折しかけましたね、もうやめようかと。でも家族に、やりかけたんだから最後までやれ、と叱咤されて(笑)。

ーー挫折という言葉、パワフルに活動されている今森さんには似合わないですね。

今森:しんどかったですねぇ。竹を切っただけで、精も根も尽き果てました。いつも楽しんでいると思われていますけれど、そんなことはありません。

今はようやく伐採も終わって、稲木を植える道を作ってるんです。カールした丘の農道に、ずーっと稲木が並んでいて、その先に比良山が見える風景。それは、僕が最初にこの場所に来た時に本当にあった風景なんです。ところがいつしか圃場整備事業で整地されて、その風景はなくなりました。その一角で、僕が見た風景を取り戻したいんです。ようやく上手くいきかけている。そこに今年初めて菜の花畑ができました。稲木はまだ細いですが、年々成長していきますので見守っていきたいと思います。

最新刊『光の田園物語 ー環境農家への道ー』(クレヴィス)。荒れ果てた土地を取得し、かつてあった風景を再生するまでの記録が写真とエッセイで綴られている)
最新刊『光の田園物語 ー環境農家への道ー』(クレヴィス)。荒れ果てた土地を取得し、かつてあった農業環境を再生するまでの記録が写真とエッセイで綴られている)

写真家としての新たなステージ

ーー農家としての活動を始める前には、過酷な肉体労働もあったんですね。そんな多岐にわたる活動をされている今森さんを、やっぱり「写真家」とお呼びしていいのでしょうか。

今森:僕が今こうしてやっていることも、写真家としてつながってきたことなんですよね。農家になっているのも、作品を撮る上でプラスになることが多いです。自分の見方が変わるので。見方が変わっているがゆえに、同じところで定点的に撮れるんですよね。そうでなければたいした所ではないですからね、ここは。ご覧の通り、風景写真家が押し寄せるような、すごく風光明媚な場所ではありません。だって、何にもないんだもん。でも、そんなところでも、ものを見る目を持つと面白く見えてくる。それが言いたいんですね。

たいして広い場所でもありません。たったこれだけの範囲です。それでも、一つのテーマで40年間やり続けることができた。それはなぜかというと、僕自身が意識的にポジションを変えながらものを見ているから。それは農家もまたそんな視点の一つ。農家をやったから被写体の見え方が変わった、そういうことですね。

ーー具体的に、どんな風景が見えているのでしょう。

今森:例えば、さっきお話ししたように竹やぶの開墾もそうです。外からは割と普通の、こんもりとよく繁った普通の竹やぶなんです。ところが入ってみたら、荒れ方が普通じゃない。でも私はそこをきれいだと思ったんです。あまりにも荒れているから。そこで写真を撮ったりしますよ。

これは言葉にするのは難しいですが……悲壮さを越えて、地面に網の目のように堆積した竹林の屍がきれいだと思ったんですね。ひょっとしたら僕の「第二の里山物語」が始まったな、とその時直感しました。だってここを40年撮ってきても、初めて目にした光景でしたよ、あんなところは。今までならカメラも向けなかったしね。こういう見方をするのはすごく大事だと思いましたね。

自分が中に入って開墾したがゆえに、本来は汚いとしか思えない場所さえも美しく見えてきた。まだ答えは出ていませんが、僕は間違いなく、写真家として次のステージに入った。農家になった5年前から。そう思っています。

里山の生物多様性は世界のお手本になる

ーー今、地球の温暖化や海洋汚染などの問題はますます身近に迫り、世界的にSDGs(持続可能な17の開発目標)への取り組みが急務になってきました。その中の「陸の豊かさをまもる」という項目に、生態系や森林管理に関するものもあります。長く環境のために活動されてきた今森さんから見て、現状はどう映っているのでしょう。

今森:今日お話ししてきたような日本の里山環境は、国際的に理解されてきませんでした。その理由は、日本のように人間と生きものの共存する農業環境が、他の国にはないからなんです。

温暖な気候があり、落葉樹があり、湿度があり、四季がある。そんな里山環境は、たとえば中国大陸にはありません。同じアジアで棚田もいっぱいあるのに、里山環境はない。棚田の景色が有名なインドネシアのバリ島にもありません。風景は圧巻で、こんなにすごい棚田があるのだから、どれだけすごい生きものの楽園があるんだろうと思うけれど、生きものの数は少ないんです。なぜかというと、熱帯雨林を燃やして焼畑農業をしているから。熱帯雨林は一度壊れるとダメなんです。温帯性広葉樹は回復が早いんです。

熱帯雨林は、簡単にいうと大きな歯車で回っています。だから一回壊すと歯車が簡単に元には戻らない。でも温帯性広葉樹林は小さい歯車の塊のようなもので、一つ壊れても別の歯車が回っている。だから雑木林が成立するんです。

ーーそういう意味でいえば、日本は頑張れば良いお手本になって世界に向けて発信できる条件は整っているということですね。

今森:もちろん。すでに環境省も「SATOYAMAイニシアチブ」として、里山環境の価値を見直すための国際的な取り組みを行っています。生物多様性に関する技術と考え方では、日本が一番良いものを持っているのだから、ということで。ただ、海外から理解してもらうことは簡単ではないでしょうね。

環境はもはや全世界共通の問題だが、それを語る今森さんの表情は決して暗いものではなかった。つねに物事を前向きに捉え、自分にできることから始めれば良いと教えていただいた
環境はもはや全世界共通の問題だが、それを語る今森さんの表情は決して暗いものではなかった。つねに物事を前向きに捉え、自分にできることから始めれば良いと教えていただいた

風景写真家にもできること

ーー私たちはPASHADELICという風景写真を楽しむ人のためのサイトを運営していますが、風景写真を楽しむ人たちが、環境のためにできることがあるとしたら、どんなことでしょうか。ゴミを拾う活動や、高齢化した農家の方と一緒に田んぼの水張りを手伝ったり、そうした活動をする人も、少しずつ増えてはいるのですが。

今森:風景がきれいだなと思ったり、自然に何らかの興味があって撮影に来る人たちですから、積極的に関わりを持つのはいいことですよね。特に農地というのは、ものが生産されている場所ですから、それを買うということも一つですよ。棚田で農業をしている人たちの大きな悩みの一つに、お米の値段が安いことが挙げられます。平坦な場所で米を耕作するのと、棚田で米を耕作するのでは、労力は倍くらい必要です。狭いので機械化も難しい。でも棚田の小規模な田んぼは農薬に頼らなくて良いので、美味しいお米ができるんですよ。棚田のオーナー制度なんてあるとすぐにいっぱいになってしまうほど。それでも、同じ米ということで市場に出ると値段は同じなんです。

棚田は命も育てています。ゲンゴロウやトンボ、カエル。それはお米の価値とは関係ないんだけれど、でも赤トンボが夕焼け空に飛んでいたら気持ちいいじゃないですか。そういう景色を育てているのは誰か、っていう話です。それは数値化はできないけれど、日本人が持つ感性ですよね、なんかいいなぁ、カエルの声っていいなぁ、夏が来たなぁ、と。その価値はどこから生まれるのかというと、田んぼや畑を作っている人から生まれる、という考え方ですね。そういう考えに展開して、お米の値段は少し高いかもしれないけれど、そちらを買うことで農家に協力するということはできます。そういう価値を映像とともに広めていくことはできると思います。写真家の人たちからそんなムーブメントが起きたら面白いですね。

おそらく風景写真を撮っている人たちは農地を撮っていることも多いでしょう。そういう人たちには、自分は命を育てている土地を撮っているんだ、と自覚してもらいたいです。

ーーそれは今までにはない考え方ですね。ただ風光明媚な農村地帯で写真を撮る場合、あぜ道に踏み込んだり、声をかけずに農家の人の姿を撮影したりしてトラブルになることも少なくありません。

今森:美しい風景を撮って拡散していってもらうことは、僕は悪いことではないと思います。いいものはみんなに知ってもらう方がいい。ただ迎える側は、訪れる人たちを野放しにせずに、ちゃんと体制を整えて迎えられるようにしないと、パンクしてしまう。そこのバランスですよね。

ーー写真を撮りに来る人がいて、地元に住んでいる人もいて、役場の人もいて。そういう意味でも共存しあえるといいのですが。

今森:そうですね、話は農村に限らず、写真を撮りに来られる人たちと地元の人の共存も絶対考えた方がいい。今は、なんか写真家は鬱陶しいとか思われていて、あまり地元の人にとって印象がよくない場合も多いけれど、その土地の良さ、美しさを拡散してくれている人たちですからね。地元の人と写真家が歩み寄って、一緒に発信することを考えられたらいいですよ。

きちんと整備してもらってお金を払う方が、撮る側も罪悪感がなくていいんじゃないですか。風景を守ってくれているこういう場所に何かしら自分も貢献したい、という気持ちは、多くの人が持っているものですよね。今はそういう考え方は、定着してきているんじゃないですか? 僕が知っている例でも、地元の人が観光を受け入れるために努力して、変な看板をなくしたり、フェンスを撤去することによってフォトジェニックになってきた例がありますよ。ちゃんと撮らせてくれる場所を作れば、撮る側も無理して変な場所に入ろうとはしなくなるんじゃないでしょうか。

きっとそういう例は全国にあるし、アイデアはたくさん出せるはず。それこそPASHADELICさんのような立場の人たちが、コンサル的にやられたらどうですか(笑)。

ーーそれは写真を撮る一人としても、ビジネスとしても、真剣に考える価値がありそうです。今日は、日本の自然環境について考えるうえでも風景写真を盛り上げていくうえでも、たくさんのヒントをいただきました。どうもありがとうございました。

昆虫を愛する今森さん。出していただいたコーヒーカップにも蝶が舞っていた
昆虫を愛する今森さん。出していただいたコーヒーカップにも蝶が舞っていた

今森光彦さんの写真家としての活動目的は「美しい風景を撮る」ことでもなければ、「美しい風景を守る」ことですらない。生きものを追いかける中で、人間と生きものが共存する環境に気づき、その大切さを魅力的な写真で伝え続ける。そんな、環境を再生させるための活動が、結果的に美しい風景を再生することにつながっていく。私たちが考えるよりもずっと大きなサイクルで日本の風景を捉えている今森さんから、自然や生きものとの関わり方を改めて学びました。

PROFILE

今森光彦

写真家
今森光彦

写真家
今森光彦

1954年滋賀県生まれ。大学卒業後独学で写真技術を学び1980年よりフリーランスとなる。以後、琵琶湖をとりまくすべての自然と人との関わりをテーマに撮影する。一方、熱帯雨林から砂漠まで、広く世界の辺境地の訪問を重ね、取材をつづけている。また、ハサミで自然の造形を鮮やかにきりとるペーパーカット アーティストとしても知られる。
写真集、絵本、エッセイ集、図鑑など、これまでの著書は130冊以上。近著は『光の田園物語』『今森光彦写真集 オーレリアンの庭』(共にクレヴィス)、『丘の上の いっぽんの木に』(童心社)、『さとやまさん』(アリス館)など。デパートや美術館、ギャラリーでの展示も多数開催。木村伊兵衛写真賞、日本写真協会年度賞、毎日出版文化賞、産経児童出版文化賞、土門拳賞などを受賞、その作品や活動は国内外で高く評価されている。

MEDIA

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PASHADELICとは、“写真ライフをもっと楽しく“をミッションにした、絶景写真を撮影するためのコミュニケーションプラットフォームです。世界中のフォトグラファーと美しい風景写真を共有し、撮影の奥深さや楽しさを発信し続けています。