北アルプスの主峰、白馬岳や槍ヶ岳を中心とする日本の名峰をメインフィールドに、長年活躍している写真家の菊池哲男さん。
高山ならではの厳しく神々しい表情はもちろんのこと、花や緑に包まれた山の優しさ、そして登山者の息づかいが聞こえてくるような人の気配など、山のリアルを伝える数々の表現で、山岳写真につねに新鮮な風を送り込んでいます。
そんな菊池さんが今回新たに発表するのは、後立山連峰の中でも人気の高い「五竜岳」と「鹿島槍ヶ岳」の二峰を主役に据えた写真集です。
掲載された作品を見せていただきながら、菊池さんにお話を伺いました。
ーーこれまで何冊も本を出されている菊池さんですが、作品はどのくらいの期間を経て発表されるものなんですか?
そもそも今回は、ニコンの依頼で企画展をすることが先に決まっていました(*)。なので機材も展示の方は「Z 6」「Z 7」を使用することが条件だったのですが、写真集はこの機会に自ら企画して作ることにしたので、フィルムカメラで撮影した写真も数点入れています。
展示はともかく、写真集を一年間撮影した成果で作り上げるというのは、山の場合は難しいですね。最低3年は撮って、それで足りない写真をさらに1、2年かけて埋めていくという感じです。長いものになると、一つのテーマで10年くらい撮り続けて少しずつ作品を増やしていくという撮り方をしています。
ーーこの表紙の写真、素晴らしいですね。鹿島槍ヶ岳と五竜岳、こんな好条件の中で二つのピークが並んだ写真が撮れるとは。
この写真を見た途端、デザイナーに神が降りてきたみたいな早さでカバーデザインができあがったんですよ(笑)
ーーこの写真は、本の中にも使われているんですね。……あれ、違う。山の形や、空の感じが違いますね。
場所と時間帯はほぼ同じです。初めは編集者はこちらの(下の)写真を表紙に使おうとしていたんですよ。でも僕が「そこに写っているのは違う山だよ」と指摘して、編集者に「これと同じ感じで、五竜岳と鹿島槍ヶ岳が写っている写真はないんですか?」って聞かれて、ちゃんとあったという。
ーーすごい! ちゃんと撮っていたとは、さすがですね。
若い頃からの習性ですね。昔からお世話になっていたアートディレクターの三村淳さんによく言われていました。いい状況で写真が撮れたら、必ずその周りの風景も撮っておくように、と。教えが役に立ちましたね(笑)
ーー他にも、パノラマでつながっているようにレイアウトされているけれど実は左右別々の2枚の写真も、一連の中で撮影されていたんですか。
そうですね。同じ状況の中での写真を使いすぎなんじゃないか、と僕は感じていたんですが、デザイナーと編集者がよってたかって「いい写真なんだから使うべき」と主張して、僕の方が折れたかたちです。
ーー時間としては一連の写真なのかもしれませんが、とても迫力のあるいい作品だと私も思います。お二人の方が発言力が強かったんですね。
残雪期や冬山のカットなど、僕としては使いたい写真は色々あったんですけどね。でも空が焼けている、雪山だ、というだけで印象が似てしまうという理由で選ばれずに涙をのんだ写真も、結構ありました。
北アルプスは麓から撮れるのはもちろん、縦走して隣の山から別の山を撮ったり、後立山連峰からの立山連峰、その逆だったり、本当にさまざまな場所から、さまざまな表情を見ることができるんです。撮り手としては、場所のバリエーションを優先させたい思いもありつつ、二人に「いや、その写真では弱い」なんて言われたり(笑)。
ーー全員が「いい写真集を作りたい」という共通目標を持ちつつ、喧々諤々するのは写真集作りの醍醐味でもありますね。
結構最後までやりあいました。やっぱり、自分じゃない人の意見を聞いた方が本の完成度が上がるということは、経験上わかってはいるんです。撮影者としては、この時は大変だったな、とか、試行錯誤してこの一枚を撮るために時間がかかったな、とか一つ一つにウラ話があるわけです。でも、そのことは写真から見えることではないので。
それでも、ギリギリのタイミングでいい写真が撮れたので差し替えてもらったり、わがままも言いました。この、赤く染まった壮大な滝雲の光景の左下に人が写っているカットも、最初は人が入っていない写真の方が選ばれていて。ここは僕は人が入っている写真をぜひ入れたいと主張して変えてもらいました。
ーーこれまでも菊池さんの写真は、人の気配が特徴だったりもしますね。
写っているのは他の人であっても、その時そこにいた自分の姿もまた投影しているんですよね。テントの光なんかもそうです。夜の月明かりの中にテントが並んでいる写真を『山の星月夜』(小学館・2008年)で発表した当時は、「これは山岳写真なのか?」なんて言われてましたけど。
ーーこういう写真が含まれていることで、写真集を見る側には登山にリアリティを感じることができます。
何のために本を作るかと言えば、人に見てもらうためです。自分が満足するためなら、本や展示をしてわざわざ発表する必要もない。そして見てもらえるなら、できるだけ共感してもらいたいじゃないですか。
今、山は昔ほどのブームではありませんが、結構若い人も数多く登っているし、ほとんどの人がスマートフォンやミラーレスカメラで写真を撮ってもいます。ただ、山の写真のコンテストや、山岳写真の作品発表の機会は昔に比べるとすごく少なくなっていると思うんです。SNSで発信することはできるけど、小さなスマホの画面ではなかなか山の迫力まで伝えきることはできません。
印刷物に載せたり、展示の大きなプリントで発表できる機会はすごく限られてきています。その貴重な場をもらえているという認識はあるし、大事にしなければならない機会だと思いますね。
ーー本当にその通りだと思います。写真集と作品展を通じて、たくさんの人に山の懐の深さ、自然の偉大さを体感してもらえたらいいですね。本日はありがとうございました。
*菊池哲男写真展「 天と地の間に ー北アルプス 鹿島槍ヶ岳・五竜岳ー」は東京・大阪のニコンプラザ THE GALLERYで開催予定です。日程等の詳細は各会場へお問い合わせください。
https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/
掲載元:PASHADELIC、山岳写真家 菊池哲男「あらゆる角度から山の表情を描く」
タイトルの「天と地の間に」は、かつてフランスで見て菊池さんが衝撃を受けたという山岳記録映画から付けられた。人間が自分の足で到達することのできる最高点は、町を指して言う「下界」と、「上空」のちょうど間の場所である、という思いが込められている。
サイズ:210×277mm(A4変型) 80ページ
価格: 2,800円(税別)
発行元:山と溪谷社
https://www.yamakei.co.jp/
菊池哲男
菊池哲男
山岳写真家。1961年東京生まれ。立教大学理学部物理学科卒。好きな絵画の影響から14歳から独学で写真を学び、20歳の頃から山岳写真に傾倒する。2001年には月刊誌『山と溪谷』表紙撮影を1年間担当する。
おもな写真集に『白馬 SHIROUMA』(2005年)、『白馬岳 自然の息吹き』(2011年)、『アルプス星夜』(2016年)(共に山と溪谷社)、『山の星月夜 ー眠らない日本アルプスー』(2008年 小学館)など。
山岳スキーの分野でもヨーロッパアルプス最高峰モン・ブランを始め、国内外で約300ルート以上を滑降して取材を行う。 2007年、長野県白馬村和田野の森に菊池哲男山岳フォトアートギャラリーがオープン。東京都写真美術館にも作品が多数収蔵されている。
PASHADELIC
PASHADELIC
PASHADELICとは、“写真ライフをもっと楽しく“をミッションにした、絶景写真を撮影するためのコミュニケーションプラットフォームです。世界中のフォトグラファーと美しい風景写真を共有し、撮影の奥深さや楽しさを発信し続けています。